みなさまこんにちは!
グランスイート川越新富町の居原です。
今回お送りするのは、今まで3回に渡ってお話してきた歴史
シリーズの最終回になります。前回のお話で、今でも現存し
ている川越城を取り上げましたが、今回は今や川越の“顔”
とも言える“蔵作りの町”の誕生のエピソードもお話してい
きたいと思います。
明治になっても川越は商業都市として繁栄しつづけます。
穀物流通の中継地として、たんすや織物の生産地として発
展していきました。川越唐桟(とうざん)織は粋な織物と
して江戸で人気になりました。また、川越はまた幾度とな
く火事にあっています。明治26年(1893)の大火ではなん
と町の3分の1を焼くこととなりました。
そのとき川越商人は燃え残った蔵作りを見て、その耐久性
に着目しました。今も残る蔵づくりの町並みはその時、財
力を投資してつくられた土蔵造りの店舗の名残りです。

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今や川越の代表的な観光名所となっている蔵の町
そして大正11年に埼玉県ではじめて市制を施行されること
となりました。この点は意外と浦和や大宮あたりと思われ
がちですが、この時代までは川越が埼玉県下最大の街だっ
たのです。
そして現在、川越は首都圏近郊の中核都市として発展して
います。
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