豊中と中国は友好関係があることをご存知でしたか?
私は先週、付近を散策していると、ひとつの石碑を見つけました。
前回お伝えした芦田ヶ池のすぐ横にこの塚はあります。

ここには西村真琴と魯迅の関係が伺えます。
1932年1月28日(上海事変)後、日本の生物学者西村真琴(豊中在住)は、中国難民の治療のため医療団を組織し、上海にやって参り、三義里(地名、上海虹口区付近)の廃墟の中に餓えた鳩を見かけ、この鳩を日本に連れ帰り、日本で二代目の鳩の子を育成し、平和の使者として、中国に連れ戻りたいと思いましたが、不幸にも翌年死んでしまったので、西村博士は非常に悲しんで、この鳩のために付近の農民と共に、野面石の塚を立てなきがらを葬り、碑名を“三義塚”としました。
そして二代目の鳩を日中友好の使者と出来なかった事を“西東国こそ異へ小鳩等は親善あへり一つ巣箱に”の句に鳩の絵をそえて、魯迅に送るととても感動し、三義塔に題す(七言律詩、度盡劫波兄弟在 相逢一笑泯恩讐 と結ぶ)を詠んだ。
この関係が日中もっと言うと豊中と中国の関係をよくさせたのだろうと思う。
豊中は歴史の深い場所であり、学ぶ環境としては最適な場所であります。
ぜひ豊中の曽根周辺を散策して、歴史に触れていただければと思います。
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