こんにちは☆
昨今の世間ではオリンピックの聖火でいろいろな論評がでておりますが、
スポーツの祭典自体は非常に楽しみにしております。
何といっても4年に一度の祭りですから☆
ご存知の方も多いかと思いますが、「甲州街道」はオリンピックで使われたことがあります。
昭和39年に行われた東京オリンピックです。
同年10月、甲州街道がオリンピック東京大会の競歩とマラソンのコースになりました。
このときのマラソンは、千駄ヶ谷の国立競技場をスタートして
甲州街道に入り、飛田給で折返す42.195Kmで行われました。
10月8日には府中から聖火を受け継ぎ、市内69名の聖火ランナーが3区間を走りました。
50キロメートル競歩は10月18日雨の中、34名の選手が競い、
イタリヤのアブトン・バミッチが優勝。
マラソンは21日エチオピアのアベベ・ビキラ選手が飛田給の折返地点から独走し、
2時間12分2秒の記録を樹立しローマに続き2連覇しました。
歴史ある街道なんですね☆
また、歴史をさらに掘り下げると…こんなところです。
甲州街道は、東海道などより遅れて天正18年(1590年)の
家康江戸入府後15年ではじめて開通しました。
その起点は他の街道と同じく日本橋です。
(諸説がいろいろとあるみたいです。)
また、甲州街道の整備の主眼は江戸城と甲府城を結ぶことにありました。
「万一」のとき将軍家の甲府城への退路とするための道だったといわれています。
甲州街道は、日本橋から甲州を経て信州下諏訪に至り、中山道と合流する道です。
通常、45宿・32次といわれ、50里13町
(約201Kmの道のりです。ただし、この数についても他にも説があるそうです。)
この道を参勤交代で利用したのは、
信州諏訪の高島藩と伊那の高遠藩、飯田藩の三大名にしかすぎませんでした。
しかし、甲州が幕府の直轄地となり、また、甲府に甲州金の金座がおかれ
貨幣の鋳造なども行われるようになると、甲州街道は経済的にも、軍事的にも
重要な交通路となってゆきました。また、信州、甲州と江戸を結ぶ物資の流通路として
役割を果たしていまに至っています。
どこに関しても意外なところで歴史をいろいろ調べてみると
所縁ある場所だったりするかもしれませんね☆
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