さてさて、このブログも今年は残すところあと2回になりました。
そこで、今回はもう一度、『園田』の歴史について振り返って
みたいと思います。
【東園田の発祥】
現在の東園田周辺に人が住みはじめたのは弥生時代の頃だそうです。
そんなに前からなんですね。
以前ご紹介しました園田北部の田能遺跡(国指定史跡)は弥生時代の
住居や墓の遺跡として、学術的にも注目されていました。
【東園田の由来】
奈良時代には、東大寺領の猪名荘、平安時代以降には、摂関家領の橘御園、
椋橋荘といった荘園があったという記録があり、園田という地名は、
平安時代の橘御園に由来しているそうです。
ということは当時から園田は、たくさんの貴族が住む町だったんですね。
【尼崎城】
近世になると、徳川幕府は1617年、譜代大名戸田氏鉄を尼崎に配置し、
大阪の西の要所として尼崎城(5万石)を築城させました。
園田近辺は大阪と接しており、尼崎藩に属さず、幕府直轄地でありました。
【園田村誕生】
明治22年になって、町村制により園田村が生まれ、昭和22年に尼崎市と
併合。
【住宅地としての開発】
住宅都市としての歴史は古く、約70年前の昭和10年に遡ります。
昭和11年には阪急電鉄により阪急園田駅が開設され、「園田住宅地」として
約7万坪、180戸が発売されたそうです。
当時は数百坪クラスの邸宅が立ち並ぶ関西屈指の超高級住宅地であり、
その後幾度かの住宅都市開発が行われ、現在に至ります。
今では園田地区の人口が91649人(男45896・女45753)(平成10年4月1日時点)
で、尼崎市の人口の約2割を占めるまでになりました。
こうやって見ると、ほんとに古くからの住宅地なんですね~。
まだお越しになられていない方は、是非一度お越し下さいませ!!
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